唐組『ジャガーの眼』
- さむ
- 2019年6月14日
- 読了時間: 3分
先週くらいに、新宿は花園神社に唐組『ジャガーの眼』を観に行きました。
おそらくは、神社の入り口として、そしてテントへの入り口として想定されている東側の鳥居ではなく、南側の小径から境内に入りました。ビルとビルとに挟まれた、どこか薄暗い、他の新宿よりも気温の少し低い小径。そこを歩きながら「演劇って感じがするなぁ」なんて思ったものです。
演劇って感じ、と言う何ともふわふわした感覚を説明することはあえてせずに、演劇作品ってのはどこからどこまでなんだろうって言う事です。作品を作っていると、こう稽古場で作られているものが作品な感じがどうしてもしてきてしまいますが、でもやっぱりそれって演劇の一部でしかなくて、音とか光とかが入ってないからとかじゃなくて、一部でしかなくて、こういった演劇をやっているところに向かう小径とか、気分とか、なんかそういったものも作品なんじゃね~のって思うわけです。まぁ、私がこんなことを思うのも、かつて如月小春さんがエッセイに書いていたからなんですが。演劇っていう言葉の響きがどんどんふわふわになっていって、終いには作品なんてものは無くてもそれはもう演劇なのかもしれないですね。
さて、話は唐組『ジャガーの眼』。
私は不勉強なもので、唐十郎さんについてはあまり知りません。なんなら脚本を読んでもなにを書いているかよくわからないし、観劇してみてもよくわかりません。でもいいじゃん、そんなの。そんなの全部取っ払って、ぶつかっていこうぜ、って言う気持ちになります。分かるとかわからないとかそういう以前にドーン!って感じです。ルフィだってつべこべ言う前に「どんっ!」って言うし、なんかそんな感じなんだと思います。
台詞の内容もそもそもよくわからないし、その上、本人も自分が言えているのかもうわからないんじゃないかってくらい早口で喋るもんですから、コチラとしてはTOEFLのリスニング試験と同じくらいにしか聞き取れません。ま、でもそんなのどうでもいいじゃん。ドーン!っていう事です。
でも、しかしこれがまぁ飽きないもんなのです。なんでかって言うと、それはもう演出、と言うよりかはお客さんのためのサービスが物凄いのです。ミサトさんも「サービス、サービスぅ」と言っておりましたが、サービスだらけです。でもここで言うサービスって言うのが、大人が子供におもちゃを買ってあげる、とかいうようなサービスじゃなくって、どちらかと言うと、公演で偶然居合わせた少年少女が、スコップとバケツをくれる感じなのです。あのテントの中では私たちも少年少女なのですね。
さぁ、いよいよ何を言っているのかわからなくなってきました。と言うのも、観劇記録をつけようと、言ってみたはいいものの、一向につけないので、これは良くないと思い、どんな文章でもよいので書いてみようと思ったからであります。ネガティブな方向への強い決意をもって筆を進めているのです。まぁ大分書いたのでこんなもんでいいでしょう。
いつまで観劇記録は続くかな?
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