時給制について
- さむ
- 2018年12月5日
- 読了時間: 3分
世の中の学生は時給○○円でアルバイトをしていることが多いかと思う。
かく言う私もその一人であるが、この時給制というのははなかなか厄介なものである。
「我々(アルバイトしている側)は労働力を提供しており、その対価として給料を頂いている」
果たして本当だろうか。
答えはNOである。
何故なら、時給制はその言葉通り「時間」に対してお金が支払われているからである。我々は「時間」を提供している。
これの何が厄介かと言うと、「時間」は私もあなたも等しく持っているという事である。つまり私の時間もあなたの時間も同価値なのである。
何が言いたいかというと、時給900円において100の作業あったとする。この場合、1時間に「98の作業」をしたAさんと「2の作業」をしたBさんは、等しく900円を受け取るという事である。
では発想を逆にしてみて。
同じ900円で「2の作業」と「98の作業」どっちを選ぶ? と言われたら、多くの人は「2の作業」を選ぶのではないだろうか。
これはとても自然なことで、正しい。
つまり、時給制においては、合理的な判断をすると作業効率は低下する。
厄介なのはこれにとどまらない。
世の中には「頑張っちゃう人」がいる。それも(日本だけなのかもしれないが)結構いる。
「頑張っちゃう人」は「98の作業」でもやっちゃう。
この状態で皆が満足しているのであればハッピーなのだが、そうもいかない。
「98の作業」をした人(もしくは第3者)は「2の作業」をした人に対して不満を抱く。何故なら、「98」も頑張ったAさんと「2」しか頑張ってないBさんが受け取る金額は同じ900円だからだ。
私なんかは天邪鬼なので、みんな「2」だけやればいいじゃん何て思っちゃうが、(大人たちが言う)社会はそうは甘くない。
社会は(私なんかよりよっぽど天邪鬼なことに)
「Aさんはあんなに頑張っているんだからBさんももっと頑張りなさい」
「Aさんに申し訳ないと思わないのか」
みたいなことになる。
発想が逆なのである。
この発想は不健全である。
先ほども言ったように、時給制においては作業効率は低下する方向に働く。人間が合理的な判断を行う動物である以上、これは自然である。
この場合、物差しの「0」は「2の作業」をしているBさんである。Bさんが自然であるため、ここに物差しの「0」を合わせるのが普通である。
この時、Bさんは「±0」なので「普通の人」であり、「98の作業」をしているAさんは「+96」なので「頑張っている人」になる。
健全な発想では、このAさんの「+96」を称賛するべきである。「2」のはずが「98」もやっているのだから。
しかし鬼ばかりの世間は何故か「98の作業」をしているAさんに物差しの「0」を合わせる。
その結果Bさんは「-96」も「サボっている人」になる。そしてAさんは「±0」の「普通の人」になる。
お気づきだろうか。
・Aさんは「+96」のはずが「0」で「-96」
・Bさんは「0」のはずが「-96」で「-96」
両者ともマイナスの結果になっている。
AさんもBさんも得をしていないのである。
不健全である。
だから皆
「頑張る事」をやめよう。
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